サッカー日本代表の監督の森保一さん。
現役時代は、日本代表として活躍し『ドーハの悲劇』といわれた試合にも出場。
現役引退後は、監督としてサッカーに携わり、2018年から日本代表の監督に就任されました。
今回は、森保一さんの若い頃から現在までの経歴をまとめてご紹介したいと思います。
森保一は現役時代ドーハの悲劇のピッチに!

2022年11月20日(日)より『FIFAワールドカップ2022』がカタールで開催。
この大会で日本男子代表の監督を務めるのが、森保一さん。
森保一さん自身も現役時代は、日本代表としてピッチに立ち世界と戦ってきました。
そんな森保一さん率いる日本代表は、2022年11月23日(水)にグループリーグE組でドイツと対戦。
優勝候補といわれているドイツ代表を相手に2対1と逆転勝利しました。
この勝利は『ドーハの奇跡』と呼ばれています。
ドーハの奇跡と呼ばれているのは、ただ優勝候補のドイツに勝っただけで呼ばれている訳ではありません。
実は、森保一さんが現役時代に出場したある試合との深い関係が。
その試合は『ドーハの悲劇』と言われた、1993年ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選。
日本は、カタールのドーハでワールドカップ出場をかけた最終戦に出場。
イラク代表と戦った日本代表が後半のロスタイムに失点し、ワールドカップへの出場を逃しました。
この試合が『ドーハの悲劇』と呼ばれています。
ドーハの悲劇を経験した森保一さんですが、監督としてカタールに戻り今回は『ドーハの歓喜』に。
今回の勝利に対してネットでも祝福の声がたくさん上がっています。
そうか森監督はドーハの悲劇の時にメンバーだった人なのか…悲劇が歓喜に…(号泣)
— たいやき🍢 (@ADuNPpTYEIjuUX9) November 23, 2022
ドーハの悲劇を経験した森保選手
— 圧倒的なゆうきぃ松 (@yuuki_fire) November 23, 2022
ドーハを歓喜の場にした森保監督
国民栄誉賞だろ…
「ドーハの悲劇」リアタイ世代なんだけど、そのドーハで下馬評を覆してドイツに逆転勝ちした監督が「ドーハの悲劇」の時に選手だった「森保さん」なのを、インタビューで顔見た時に思い出して泣いちゃった。
— 以蔵 (@C2Syndrome) November 23, 2022
マジで泣いちゃった。
『ドーハの悲劇』の時は選手として、また『ドーハの歓喜』は監督として経験するなんて凄いですね。
2022年11月24日(木)現在、日本代表の戦いはまだ続いています。
ぜひ、この勢いで今後の試合も勝利して欲しいですね!
森保一の若い頃から現在までの経歴まとめ

ドーハの悲劇、そしてドーハの歓喜を経験した森保一さん。
現役時代はどんな選手だったのでしょうか?
森保一さんの若い頃から現在までの経歴をまとめてご紹介したいと思います。
森保一の幼少期から学生時代
森保一さんは、1968年8月23日に静岡県で生まれました。
幼少期は、父親の仕事の関係で全国各地に転居していましたが、小学1年生の時に長崎県に定住。
森保一さんがサッカーを本格的に始めたのは、小学五年生の時。
サッカーのクラブチームに入団し、小学六年生の時に『第4回全日本少年サッカー大会』に出場。
中学進学後もサッカーを続け、高校は長崎県でサッカーの強豪校といわれる『国見高校』へ進学を希望。
しかし、森保一さんが受験勉強に対して努力しない姿を見た父親が国見高校への受験を許可しなかったそうです。
結局『長崎日大高校』へ進学、長崎選抜に選ばれていましたが、インターハイへの出場もなく無名の選手でした。
森保一の現役時代

森保一さんは、高校卒業後1987年に『マツダ(現サンフレッチェ広島)』へ入団。
無名の選手だった森保一さんが入団することができたのは、高校時代のサッカーの顧問の先生が関係しています。
顧問を務めていた下田規貴さんが、マツダで監督をしていた今西和夫さんに森保一さんのプレーを観て欲しいと依頼。
これがきっかけとなり、テストを経てマツダへの入団が決まりました。
入団決定後に採用枠が1人削られ、入社することが出来ない非常事態もありましたが、子会社へ入社し予定通り入団できることに。
入団後は、メキメキと実力を高め1991年にマツダとプロ契約を結び、チームの1部昇格に貢献しました。
また私生活では1990年に一般女性と結婚し、3人の息子さんが誕生しました。
1992年4月に日本代表に初めて招集。

1994年5月にアルゼンチン戦で先発メンバーに抜擢され初出場。
1993年には『ドーハの悲劇』と呼ばれるワールドカップアメリカ大会のアジア予選に出場。
また同年『Jリーグ』が開幕し、1994年にチームのステージ優勝に貢献しました。
大活躍していた森保一さんでしたが、1995年に右足首を骨折。
その後は、なかなか活躍することが出来ず1996年2月を最後に日本代表からも遠ざかりました。
1998年に『京都パープルサンガ』にレンタル移籍。
そのため、1999年にサンフレッチェ広島へ復帰しました。
しかし、若手の台頭や怪我の影響などで満足に活躍することができず、2002年に『ベガルタ仙台』へ移籍。
主力選手として活動しましたが、2003年に戦力外通告を受けて2004年1月に現役を引退しました。
森保一の現役引退後から現在まで
現役を引退した森保一さんは、その後コーチとして活躍されました。
古巣のサンフレッチェ広島の強化部のコーチに2004年に就任し、2007年にはチームのトップチームコーチに就任。
またUー19サッカー日本代表や、2007年にはFIFA U-20ワールドカップのコーチも務めました。
2010年には、アルビレックス新潟のヘッドコーチに就任するなど着実にコーチとして経験を積んでいました。
そんな森保一さんが初めて監督に就任したのは、古巣サンフレッチェ広島でした。
2012年に就任後2017年に辞任するまで、J1年間優勝やJ1連覇など4年の間に3度のリーグ優勝を果たしました。
サンフレッチェ広島の監督辞任後、2020年東京オリンピックに向けて五輪代表の監督に就任(2017年)。
2018年に日本代表チームのコーチに就任し、同年行われたFIFAワールドカップロシア大会で16強進出に貢献しました。
大会後、4年契約で日本代表監督に就任しました。

日本代表監督と五輪代表監督を兼任することに。
森保一さんが、日本代表の監督を務めてから4年後の2022年。
日本代表は、FIFAワールドカップ2022に出場しています。
初戦のドイツ戦は、逆転勝利を果たすなど好調な滑り出しです。
2022年以降の森保一さんの進退については、2022年11月24日(木)現在不明です。
今後森保一さんの進退について明らかになりましたら、追記させていただきたいと思います。
まとめ
今回は、森保一さんの若い頃から現在までの経歴をまとめてご紹介しました。
森保一さんは、選手としてもコーチとしても大活躍されていたことがわかりました。
また監督を務めている2022年FIFAワールドカップでは、強豪のドイツ相手に逆転勝利。
今後の試合も楽しみですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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