【画像】眞鍋政義の若い頃は超スリム!現役時代はセッターとして活躍!

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2022年9月25日(日)、世界バレーの女子大会が開催されます。

女子日本代表の監督を務めるのは、眞鍋政義さん。

2016年に監督を退任しましたが、2021年10月再び監督に就任しました。

そんな眞鍋政義さんも若い頃は、日本代表として世界と戦っていました。

現役時代のポジションはセッターでした。

今回は、眞鍋政義さんの若い頃の画像や現役時代の経歴をまとめてご紹介したいと思います。

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目次

眞鍋政義が再び日本女子代表の監督に

眞鍋政義
https://news.yahoo.co.jp/articles/99f12048e3051b072e72a5cb01fd11123ddaeb36より引用

2022年9月25日(日)、世界バレーの女子大会が開催されます。

開催地は、オランダ・ポーランド。

2022年9月24日(土)~2022年10月16日(日)まで開催される予定です。

日本の初戦は、2022年9月25日(日)にコロンビアと戦います。

女子日本代表は12年振りのメダル獲得に向けて、世界と戦います。

そんな日本代表の監督を務めるのは『眞鍋政義さん』。

眞鍋政義さんが、日本女子代表の監督を務めるのは2度目。

眞鍋政義さんが、日本女子代表の監督を初めて務めたのは2008年12月。

そこから2016年10月に退任するまでの8年間、眞鍋政義さんは監督を務めました。

8年の間に『世界バレー(2010年)』『ロンドンオリンピック(2012年)』で銅メダルを獲得しました。

そして2021年10月、5年振りに再び監督に就任しました。

今回眞鍋政義さんが監督に再び就任した理由を語っています。

もし日本女子バレーがパリ五輪に出場できなかったら、もう女子バレーはマイナースポーツになってしまうという思いから、緊急事態ということで手を挙げさせていただいた。

(引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/99f12048e3051b072e72a5cb01fd11123ddaeb36)

東京オリンピックで、日本女子バレーは10位という結果でした。

パリオリンピックまで、あと3年。

眞鍋政義さんの監督の下、日本女子バレーがどのように変化していくのか楽しみですね!

【画像】眞鍋政義の若い頃が超スリム!現役時代はセッターとして活躍!

眞鍋政義
https://jocr.jp/raditopi/2022/01/13/407872/より引用

日本女子代表の監督を再び務めることになった眞鍋政義さん。

眞鍋政義さん自身も若い頃は、日本代表として世界と戦っていました。

現役時代のポジションは、『セッター

中学校までは、エーススパイカーとして活躍していました。

司令塔として戦う意味では、現在の監督業に似ているかもしれませんね。

そんな眞鍋政義さんの現役時代の画像はこちら。

眞鍋政義
https://blog.goo.ne.jp/ashkenazy3606/c/d5f2e72e9ef531a7c34b5cb3f8723653/3より引用
眞鍋政義
https://blog.goo.ne.jp/ashkenazy3606/c/d5f2e72e9ef531a7c34b5cb3f8723653/3より引用
眞鍋政義
http://wonderbridge.net/sports/sonota/2369/より引用

現役時代は、今よりもほっそりとしています。

ほほえんでいる顔は、現在(2022年)と変わらず優しい笑顔ですね。

眞鍋政義

眞鍋政義さんは1985年、22歳の時に初めて男子バレー日本代表として選出

1986年に男子バレーの名門『新日本製鐵』に入社しました。

チームメイトには、元男子日本代表の監督『植田辰哉さん』も。

1988年ソウルオリンピックに出場しました。

そして、1993年眞鍋政義さんが30歳の時に選手兼監督に就任

第3・4回Vリーグでリーグ連覇を果たしました。

1999年に新日本製鐵を退社、イタリアの『セリエA・イベコアレルモ』に移籍。

眞鍋政義さんが初めて海外に移籍した男子バレー選手に。

この移籍でバレー観も大きく変わったそうです。

世界標準を日本に伝えるために翌年に帰国。

その後は、旭化成や松下電器(現在のパナソニック)などに入団。

選手を続けながら大学院へ入学し、科学的な面からもスポーツを学びました。

2005年、眞鍋政義さんが41歳の時に現役を引退

眞鍋政義さんは、日本バレー界に新しい風を吹かせた方だったんですね。

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眞鍋政義の経歴

眞鍋政義さんの経歴についてまとめてご紹介します。

眞鍋政義
http://spomani.xyz/archives/11076947.htmlより引用

眞鍋政義

生年月日:1963年8月21日

出身地:兵庫県

身長:187cm

体重:87kg

眞鍋政義がバレーボールを始めたきっかけ

眞鍋政義さんは、兵庫県姫路市の旅館の一人息子として産まれました。

小学校まではアニメ『巨人の星』の影響で野球選手に憧れていました。

野球に夢中だった小学校時代だったそう。

中学校入学時に野球部へ入部

眞鍋政義さんは体格がよかったため、捕手のポジションを命じられました。

『長嶋茂雄さん』『王貞治さん』に憧れていた為、これがきっかけで野球に興味が無くなってしまい退部。

すると、眞鍋政義さんにバレー部の顧問の先生から声が掛かったそう。

始めはバレーボールを軟弱なスポーツと考えていました

しかし「お前の力で、バレー部を強くしてみないか」という声かけで、眞鍋政義さんの心に火がつきました。

練習に励み力をつけて、眞鍋政義さんが中学校3年生の時に弱小だったバレー部が全国大会に出場するまでに。

バレー部の顧問の先生の一言がきっかけで眞鍋政義さんがバレーを始めました。

眞鍋政義の高校時代

高校は、親元を離れて『大阪商業大学高等学校』へ進学。

大阪商業大学高等学校は、インターハイや春高バレーなどで何度も優勝していた強豪校です。

眞鍋政義さんは、当時身長が183cmで他のバレー部員と比べると身長が低めでした。

そんな眞鍋政義さんに監督から『セッターをやれ』と声がかかったそう。

他の選手との身長や実力の差に尻込みしていた眞鍋政義さんは、すぐに監督の言葉を受け入れました。

セッターとして活躍するため、どんな状況でも片時もボールを離さず過ごしました。

ここから眞鍋政義さんのセッターとしての歴史が始まりました。

眞鍋政義の大学時代

眞鍋政義さんは、大阪商業大学に進学。

大学在学中の4年間で『西日本インカレ』『関西学生リーグ』全てを制覇しました。

大学4年生の時に『ユニバーシアード』に日本代表として初選出。

そして優勝を果たしました!

大会には川合俊一さんや植田辰哉(元男子日本代表監督)もメンバー入り。

その後日本で開催されたワールドカップにも出場。

これを機に男子バレーが人気になりました。

眞鍋政義さんもファンレターがダンボールで届くほど人気だったそうです。

眞鍋政義が日本女子バレーの監督に就任した経緯

2008年に日本バレーボール協会が公募した全日本女子監督のコンペに合格したことがきっかけです。

北京オリンピックで解説を行っていた眞鍋政義さんは、女子にメダルの望みがあることに気付いたそう。

戦術次第でメダルの可能性があると思い、ダメもとで応募したそうです。

そして、眞鍋政義さんは本当にロンドンオリンピックで銅メダルを獲得することに成功しました。

まとめ

今回は、眞鍋政義さんの若い頃の画像や現役時代の経歴をまとめてご紹介しました。

眞鍋政義さんは若い時は、今よりほっそりしていたんですね。

現役時代は、セッターで日本代表として活躍しまた選手をしながら監督にも就任。

海外に移籍をしたり、大学院に通ったりと常に新しいことに挑戦してきたこともわかりました。

パリオリンピックに向けて眞鍋政義さんがどのようにチームを作っていくのか今から楽しみですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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はじめまして、MARUと申します。
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